品格ある左派ブログ

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ノアの箱船

平和についての記事が多いですが、どうかお許しを・・・


さて、旧約聖書のなかに、「ノアの箱船」という有名な話がありますね。

____人間界の腐敗ぶりを見た唯一神ヤハウェは、地上を洪水によって滅ぼす、とノアに伝える。

ノアの一家は巨大な箱船を造り、その中に動物のつがいを乗せた。

その後、洪水が起こり、地上に生きていたものを全て滅ぼしつくした。

その40日後にハトを放つと、とまるところがなく帰ってきた。

7日後試しても同じであった。

その7日後、再びハトを放つとオリーブの実をくわえて戻ってきた。

さらに7日後、ハトはもう帰ってこなかった。

そして水が引いて、ノアは箱船を出て、神に感謝した。____


だからハトとオリーブの実は平和の象徴なんですね。

ところで、これは現代にも通じる話だとは思いませんか。

戦争、民族の対立、殺人、強盗、脅迫・・・・まさに現代は腐敗した社会と言えますね。

戦争や対立を繰り返していると、そのうち核兵器の洪水が起こるのかもしれません。

(それが天罰によるものなのか、はたまた人類の過ちによるものなのかは推測できませんが。)

そんなことが起こったときにいったい誰がノアになり得るのでしょうか?

何が箱船の代わりになり得るのでしょうか?

核シェルター?・・・・いいえ。核シェルターでは無理です。

核シェルターによって人間が生き延びても、汚染された大地では生きていくことはできません。

つまり、助かる方法はただ一つ、腐敗した社会をただすことしかないのです。

そして現代の不穏な国際情勢は、我々に認知できる最後の警告かもしれません。


ターニャの日記

『アンネの日記』と言えば、ホロコーストについて我々に考える機会を与えてくれるものとして高く評価されています。

ところが、あまり知られていないのですが、『ターニャの日記』というものがあります。

ターニャ・サヴィチェワという女の子が書いた短い日記なのですが、これが戦争の悲惨さを伝えてくれます。




ターニャは5人兄弟の末っ子として生まれました。

父はターニャが6歳の時になくなり、母のマリーヤが5人の子どもを育てていました。

1941年、家族で田舎に行って夏を過ごすつもりでしたが、独ソ戦が始まったことで中止になりました。

さらに、彼らの住んでいたレニングラードをドイツ軍が包囲しました。これが「レニングラード包囲戦」です。

既にレニングラードを離れていた兄のミハイル以外はレニングラードに残っていました。

また、姉のニーナは途中で市外へ脱出させられましたが、家族は死んだものと思いこんでいました。

母のマリーヤはニーナのものだった一冊の手帳をターニャに与えました。

これが後に『ターニャの日記』と呼ばれるようになるのです。

さて、そのターニャの日記を読んでいきましょう。



1941年12月28日午後0時30分 姉のジェーニャが死んだ。

1942年1月25日午後3時 おばあちゃんが死んだ。

1942年3月17日午前5時 兄のリョーカが死んだ。

1942年4月13日午前2時 ヴァーシャおじさんが死んだ。

1942年5月10日午後4時 リョーシャおじさんが死んだ。

1942年5月13日午前7時30分 お母さんが死んだ。

サヴィチェフ家は死んだ

みんな死んだ

残ったのはターニャだけ





日記と言うよりも、肉親の死亡記録のようなものですが、ただ淡々と肉親の死を綴っていく少女の心情が偲ばれます。

1942年8月、レニングラードから140名の子ども達が救出された。

ところが、ターニャだけは重い病気にかかり、1944年に亡くなった。

後に、彼女の死を偲んだリュドミーラ・チェルヌイフが、クリミア天体物理天文台で発見した小惑星にターニャと命名した。

国歌論

懲りずに国歌についての話を進める。


「君が代」は古歌である。

もともとは恋人の長生を歌ったものだという話もある。

だが、国歌としての君が代は明らかに天皇の治世を賛美する歌であり、人民の世となった現代ではふさわしくない、と私は思う。

もちろん、現代では 天皇=日本国の象徴 なのだから 
   天皇の治世が長く続くこと=日本の平和 が長く続くこと を願う歌だ、という考え方も一理はある。

しかし、今は人民の世である。国の繁栄を説くのではなく、人民の繁栄あるいは日本という地域の繁栄を説くことが望ましいと思う。

そう考えると、「君が代」ではあまりにも曖昧すぎる。
「君が代」は解釈が3通りもあって、どれも確証に至っていない。ここは「この解釈しかとれない!!」
というような歌で、しかも思想に関係なく歌えるものを国歌とすべきであると考える。

そこで思想を考えてみる。

まず、「愛国心」を持っている人はどのくらいいるだろうか。
1割?2割?もっと多いだろうか。だが、6割を越えるか?と聞かれると、きっと誰もが悩むことだろう。
「愛国心」は定義すらあやふやな上に、「絶対に持たない!」と思う人も多いだろう。

では、「郷土愛」を持っている人は?と聞くと、
そうでない人もいるかもしれないが、少なくとも「愛国心」を持つ人よりは数が多くなるだろう。

「愛国心」というものと「郷土愛」を同一視する人もいるが、私はそうは考えない。
国というものの定義は、

1,国家、中央政府。
政治的な国家(state/état)が支配する一定の領域や住民・共同体・制度・文化などの総体。特に、国家の統治機構である中央政府を指すこともある。
2,令制国。
古代の日本での、律令制下の行政単位。律令制が崩壊した後も、受領の支配区分や守護の軍事警察管区として、また地域区分の単位として明治時代初期まで用いられた。現在でも「旧国名」として、都道府県の別名や、都道府県内の地域名として用いられることがある。
3,故郷、地方。
生まれ故郷や出身地。また、国家に対して、地方を指すこともある。英語の「country」も、国家を指す場合と、地方を指す場合の二つの意味を持つ。
4,大地
例:国つ罪、国津神というように用いられるが、「地」の字が充てられることが多い。

【Wikipediaより引用】

私は「愛国心」というものは、1を愛する心だと考えている。
そうすると現在の中央政府は嫌いだから、私は「愛国心」を持っていないということになる。
だが、「郷土愛」と言い切ってしまえば、純粋に3や4への愛と解釈できる。



上の点を踏まえて、
「愛国心を持って歌える歌」ではなく、「郷土愛を持って歌える歌」を国歌とすべきだと思う。

私的には「人民を讃える歌」を国歌としたいところだが、そのような歌で国民に広く知られているものは少ないように思われる。

国歌はやはり国民に広く知られている歌でなければならない。

そこで私は「郷土愛を持って歌える歌」として「ふるさと」を挙げる。

「ふるさと」は長く文部省唱歌として親しまれた伝統のある歌であること。これが「ふるさと」を推す第一の理由である。

第二に、「ふるさと」には思想的に問題になりそうな部分がほとんど出てこないこと。

第三に、2番において「郷愁」と共に「孝」「和」といった日本的な価値観が含まれていること。


こんな理由で私は「ふるさと」を推します。

しかし、これは人それぞれ思想・信条があるので誰もがこの意見には賛同してくれませんよね。

よろしければ、この意見に賛成・反対など一報をお願いします。

あまり知られていない偉人〜サルヴァドール・アジェンデ大統領

みなさんはチリの大統領であったサルヴァドール・アジェンデ氏をご存じでしょうか。

ここではあまり知られていない彼の人生についてまとめてみます。


1908年生まれる。

チリ国立大学の医学部を卒業。

チリ社会党に参加する。

1938年、チリ人民戦線内閣の保健大臣として入閣。

チリ社会党とチリ共産党が連合し、「人民行動戦線」を結成

1958年、人民行動戦線より大統領選に出馬。僅差で敗れる。

1958年の健闘ぶりを見たアメリカがこれを危険視し、CIA(アメリカ中央情報局)を通して妨害を始める。

1964年、再び大統領選に再出馬。得票数は伸びたが、敗れる。

1970年、アメリカの工作があったにも関わらず、大統領戦で勝利!大統領に就任。
      企業の国営化、共産主義国との友好を促進。
      「共産主義国は暴力革命でしか生まれない」というアメリカの持論を見事に打ち破った。

1973年、総選挙でさらに得票数を伸ばす。

同年6月、反アジェンデ勢力が大統領官邸を襲撃。失敗する。

同年9月、アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍が大統領官邸を襲撃。
      これがチリ・クーデターである。
      アジェンデは戦闘の最中、最期のラジオ演説を行う。
      http://www.geocities.jp/jarastkyj/ultimo.htm 

      アジェンデは銃弾が飛び交う中、自殺した(戦死したという説もある)


パブロ・ネルーダという詩人は、アジェンデの熱烈な支持者であった。
彼はクーデター時に病に伏し、救急車で病院に運ばれていた。
ところが戒厳令によって救急車が検問を受け、車の中から引きずり下ろされ、息絶えた。

また、同じくアジェンデの支持者であったチリの歌手・ビクトル・ハラは、拘束されてチリスタジアムへと連行された。
そこで四日間にわたる拷問を受け、ギターを弾けないよう手を落とされた。
しかしそれでも彼は人民行動戦線の賛美歌を歌い続け、殺されたという。
彼を讃えて、後にチリ・スタジアムはビクトル・ハラ・スタジアムと改名された。


アジェンデ政権の崩壊後、アウグスト・ピノチェトによる独裁政権が誕生したが、チリ・スタジアムでの虐殺によって殺された人数は推計10万人にも及ぶという。

その後も多くの左派系の人物達が行方不明となっていった。
アメリカはこれを黙認し続けた。

ピノチェトが死んだとき、チリの国民は歓喜してアジェンデの遺影を掲げたという。
       

国歌比較

先日、各国の国歌について比較を行いました。

その結果わかったことが2つ。


1,国王賛美の国歌は世界的に少ないということ。

世界では革命歌や自由や民主政治を唱える歌を国歌と定める国々が多いです。
国王賛美の歌を国歌に定めているのは日本やイギリス、オランダなど、ごく限られたわずかな国々というわけです。

さらに調べていくと、こんなこともわかりました。

2,一部の国は国歌と国王賛美歌は別にしている!

国王賛美歌を国歌に定める国は少ないからといって王室が残っているのは日本やイギリス、オランダだけではありません。
タイ、スウェーデン、デンマークなど「王は君臨すれども統治せず」の精神で、王室が残っている国も少なくはありません。

しかし上にあげた三国は、国歌は国歌として、国王賛美歌は国王賛美歌として分離させています。
特にタイでは、絶対王政から立憲君主制に移行したことを契機にこのような処置がとられたそうです。

これは非常にすばらしいことではないでしょうか。
王室を敬いたい方は王室歌を愛唱し、そうでない人は国歌を歌えばよいのですから。
右派左派関係なく国歌を気持ちよく歌えるのは素晴らしいことです。
日本も上記の国のように、国歌と王室歌をわけることから始めてはいかがでしょう。